自分をいかす
自分の傍らに、いつも置いておきたい本に出会った。
西村佳哲さんの「自分をいかして生きる(ちくま文庫)」である。
今まで私はマザーテレサ氏の本を傍らに置いていた。
何かに迷ったり、心が落ち着かないとき、本を開きそこに在る言葉に自分を投影してきた。
そんな存在となる本に出会えたことが、純粋に嬉しく思う。
まだ、心がざわざわしているので落ち着いて、また読みたい。
>本人の潜在的な「なにか」をまわりの人間が感じ取って、動いてくれることが往々にある
私は、こういうまわりの人達に恵まれてきた。この言葉に出会った時に、思い出したお顔がたくさんあり、幸せな気分になった。
>「はじめればはじまる」ということ。逆にいうと「はじめないかぎり、何もはじまらない」
自分を生きるということを、はじめるかはじめないか。はじめてしまえば、はじまるが、はじめなければそのまま死ぬ。
>ただでさえ分かり合えない人間が、嘘とまで言わないにしても不確実な会話を交わしあっていたら…
わかりあう、という言葉のなかにも多くのレベル感があるが、そうそもそも人は分かり合うことなんてないのである。それは人と人が離れることを言っているわけではない。違う次元で、人と人は溶けあったり共鳴したりしびれたりする。
>自分自身・自分・他者
自分自身は宇宙だ。自分はこの世の中に存在している。宇宙である自分を、存分に宇宙で生かして、そんな自分自身と現世を自分という存在がつなぐ。
>死ぬまで自分をいかして生きることが仕事なのではないか?
人生100年の時代がきているなかで、おのずと人間はそういう生き方に目を向けていくのではないだろうか。土もなく風もなく緑のそよめきや、陽の光がないところで人は生きていけない。いつも同じようなモノがあふれる世界にはもう飽きた。
自然とともに、いつも違う自分といつも違う毎日のなかで、自分をいかして生きたい。