ヒトカンケイ
1人のヒトの内側には、大きな宇宙があると私は思っている。
ヒトの器が大きい・小さいとあるけれど、それは自己認識の大きさの問題で、ヒトそれぞれに大きい小さいはないと思う。
自らの宇宙のまだ見ぬところへ、一歩ずつ勇気を出して踏み出すこと、踏み出すために自分との会話を大切にすることが、自己認識を大きくするのだと思う。
何も意識しないでいると、ヒトは自分の経験という星をたよりに、親からの愛という駱駝に乗って、宇宙を漂ってしまう。
駱駝から降り、まずは自らの足で立つことでまず見えてくることがある。
自分を進ませ、かつ彷徨わせていた駱駝から離れて、自らの責任と自由で初めて生きることができる。
そして、そこから、裸足の足に靴をはかせてもよい。
もっと遠くに行きたければ馬に乗ればよい。
もっと深まりたければ、潜ればよい。
歩いても、走ってもよい。
宇宙の端はここだ、と自ら決めてもよい。
宇宙に終わりはない、と自ら決めてもよい。
上を向いて歩いても、下を向いて歩いてもよい。
泣きながら歩いても、笑いながら歩いてもよい。
宇宙はすべてを包括する。
自らと宇宙の関係なのだ。