徒然日記

モノ・コト・ヒト・ジカン…あらゆるものに価値があり、それに気づくことに喜びを感じます。

卒業

卒業シーズンから大分遅れるが、私は明後日卒業式をむかえる。

 

2015年当時、福岡で営業をしていた私はいつも何かに焦っていた。

責任ある仕事を任せてもらったり、チーム内での位置づけが中間になってきたり。

立場が変わり、新たなアウトプットが必要になっているにも関わらず、出せるアウトプットが一様で、大きな壁がくるとフラストレーションを感じるばかり。

答えをだす、立ち向かう力がない自分に憤っていた。

自分にとって、仕事は一生付き合っていく存在。

だからこそ、自分にとって充実していて楽しめものに、仕事をしたい気持ちも大きかった。

キャリアの先取りをしたい気持ちもあった。結婚・出産をしたい自分はいつかどこかで、既存のキャリアから離れる時が来る。そのときに、負けない力がほしかった。

 

MBAに出会ったのは、本当にひょんなことだった。

今までもなんとな知っていたけれど、自分にとっては縁遠いものだと、勝手に思っていた。

弟の結婚式で、彼の会社の社長さんから、「MBAぐらい持っていて当たり前だよ。」と言われた。そんなもんか、と思った自分はさっそくMBAを検索して、明後日卒業する大学院に出会った。

決めてから早いのは私のいいところで、まず単価科目を1科目受け、そのまま受験。

合格して4月から通学、というタイミングで福岡から東京へ転勤になった。

それに合わせて、福岡校から東京校へ転校した。

 

1年目と2年目前半は、とにかく大変で楽しかった。

基礎科目を受けまくる。土日は授業と予習復習で終わるし、平日も朝早く起きて夜遅く寝た。レポートの時期は眠くて眠くて仕方なかった。

でも、日々の授業は刺激的で、自分で悩んで考えたほど、クラスでの学びは多かった。

ただ、私の性格上、しっかり学びを記録に残していけなかったのは、後悔。

大人になって、勉強することが楽しいと日々感じていた。

 

2年目の後半になってくると、応用科目も増えて、またそれは面白かった。

実務への反映も多く、日々の仕事の変化もあった。

ただ、このころからモチベーションがさがりがちで、チャレンジングな科目取得はしなかった。(例えば苦手な金系とか。)

いま思えば、ノーリスクなんだから、その環境に身を置けばよかったのに、とも思った。

 

3年目を迎えると、自分自身のことが忙しくなって、なかなか勉強中心には動けなくなったが、それでもクラスでの学びやそこにいる人たちからの学びによって、自分が奮い立たされていたのは確かだ。

エネルギードリンクのような存在だった。

後悔しているのは、グループワークがあるクラスにもっと参加すればよかったということ。

私は自分の意見を言うのが苦手だ。その根拠を作ることも苦手だ。

終わってみると、私が考えていた視点が大切だったりすることは結構あるのに、それを言えない自分がいた。

否定やリスクを恐れないで、自分の考えを伝える力をそこでトレーニングできたはずであった。

 

ちょうどクラスが落ち着いてきた3年目の中ごろに、会社をあげてのプロジェクトにアサインされた。

そう、打席に立つことができたのだ。

そのプロジェクトは今の継続中だが、クラスでの学びを実践する場を与えてもらったんだと感じている。

やり方や考え方が自分の学びとは異なることが多かった。

そこで、学びは一つのものでしかないことを実感したし、一方で大学院で学んだマインドは生かすことができるとわかった。

仕事に対して志をもつこと、自分事にすること、視座を高くもつこと、人を動かすこと、具体と抽象を行き来すること、論点を論じること、インプットを続けること…。

そして、問いを立てること。

経営戦略、マーケティング、アカウンティング…それらで学んだことは、自分の思考のヒントになったり、議論に迷わないための道しるべになった。

どうやって考えたらいいのかわからないことがたくさんある。

そのときは原点に帰ってみたり、誰かに助言を求めることができる。

 

2015年の私が今この状況にいたら、戦い方がわからなくて、まわりの言うとおりにしか自分をもっていけなくて、役に立たない自分だったと思う。

3年間のトレーニングを経たことで、戦う前からあきらめたり嘆くことは、まったくなくなった。

常に考え、常に道を探す自分になることができた。

3年間、350万を払って私は、ファイティングポーズをとることができるようになった。

これから先もいろんなチャレンジがでてくるが、それらに対していつもファイティングポーズをとることができる、と信じることができる。

打たれても、あきらめたくなっても、道を開く力を。悩んでも答えにたどり着こうとする粘り強さを、身に着けることができた。

 

人生は自分で面白くできる。